宮城まり子プロフィール

1927年東京生まれ

1955年
ビクターレコードより「ガード下の靴みがき」で歌手としてデビュー。東宝劇場出演中スカウトされ、ミュージカル等の舞台に立つ。1958年「12月のあいつ」にて芸術祭賞受賞。1959年「まり子自叙伝」にてテアトロン賞受賞。その後、舞台、テレビと活躍を続ける。

1968年
日本最初の肢体不自由児養護施設「ねむの木学園」設立。

1973年
吉川英治文化賞受賞

1974年
映画「ねむの木の詩」製作監督。

1977年
映画「ねむの木の詩がきこえる」製作監督。

1979年
「ねむの木養護学校」設立(小学部、中学部) ねむの木学園設立以来、10年余の実績が認められ、成人に達しても必要であればとどまれる「肢体不自由児療護施設」という新しい制度が生まれた。 総理大臣表彰を受ける。

1980年
女性の地位向上に対して「アデライデ・リストリ賞」受賞。
映画「虹をかける子どもたち」製作監督。

1982年
ねむの木養護学校高等部開校。

1984年
映画「A Big Hand for All Children」(英語版)製作監督。
ねむの木のこどもたちによる劇団「虹」結成、コンサート活動等始める。

1986年
映画「Hello Kids!」製作監督。

1987年
手描友禅の指導を始める。
パリ市立近代美術館にて美術展「Nemunoki」開催。

1989年
本格的にコーラスの指導を始める。
ビクターより、子どもたちのコーラスなどを集めたCD「ねむの木」発売。
こどもたちの劇団「虹」とともに芸術祭賞受賞。

1991年
ニューヨーク、ケルン、ローマにて「ねむの木学園美術展」および「シンポジウム:障害児教育における美術教育」開催。
辻村教育賞、エイボン女性大賞受賞。

1992年
広島大学から、第一回「ペスタロッチ教育賞」受賞。

1993年
「東京都文化賞」受賞。

1994年
「博報堂教育特別賞(文部大臣奨励賞)」受賞。

1996年
日本肢体不自由児協会より高木賞受賞。

1997年
長年住み慣れた浜岡町より掛川市へ移転、同年身体障害者療護施設「ねむの木のどかな家」を設立。

1998年
子供たちの実習場所として「森の喫茶店MARIKO」、「がらす屋さん」、「雑貨屋さん」、「毛糸屋さん」、地域交流としての「インフォメーションセンター」設立。

1999年
文化施設として「吉行淳之介文学館」、「ねむの木こども美術館」を開館。

2000年
第5回尾崎行雄咢堂賞受賞。
静岡県都市景観賞最優秀賞受賞。

2003年
「NEMUNOKIガラス工房」を開設。

2004年
「石井十次賞」受賞。障害児教育に取り組み、高校・大学への進学の道を切り開いてきたことにより受賞。
「東京都名誉都民」の顕彰を受ける。
「掛川市特別有功賞」受賞。児童の教育・学術文化の発展に尽くしたことにより受賞。
宿泊施設として「MARIKOガーデンハウス」をオープン。(2004年春)

  現在、ねむの木学園で理事長・園長・校長をつとめながら、こどもたちの生活を見、教育の現場に立ちながら、静岡県掛川市に生涯学習を基にした健康な人、ハンディを持った人、老人、若者、ともに暮らせる「ねむの木村」を運営する。

2020年3月21日

理事長宮城まり子(本目眞理子)永眠。ちょうど満93歳の誕生日でした。

2019年4月に肺炎のため入院し、それ以降あまり体調が思わしくなく、入退院を繰り返しながらも、仕事に打ち込むという生活を続けてまいりました。2020年2月初めに体調の急激な悪化が見られ、掛川市内の総合病院に緊急入院いたしました。間質性肺炎との診断でした。その後、20年ほど前に患った悪性リンパ腫の再発が疑われるとのことで、かかりつけであった東京の医療機関に転院し、抗がん剤の投与などの治療が行われました。お医者様はじめ病院のスタッフの皆様に懸命の処置を施していただきましたが、午前6時55分、息を引き取りました。

3月21日夕、学園でこどもたち・教職員へ、「お母さんがお空にお出掛けしたよ」と悲しい報告をする。

上皇さま、上皇后さまより、宮内庁を通じてねむの木学園に弔意をいただく。

 

5月26日、(故)宮城まり子元ねむの木学園理事長が従五位の位を授与されました。

ねむの木学園応接室にて、松井三郎掛川市長より「掛川市の福祉向上のため貢献していただきました」など、やさしいまなざしでお言葉をいただきました。