2024年11月22日更新
学園小史
1957年(昭和32年)
「婦人公論」の「まり子の社会見学」の取材で知恵おくれのこどもを知る。
12月26日、 第13回芸術祭において「12月のあいつ」芸術祭賞受賞。
1959年(昭和34年)
シャーリー=マクレーンの紹介でアメリカに行き、アメリカの積極的な身体障害者に対する理解を知り、自分の消極性を恥じる。
1月13日、「まり子自叙伝」はじめ年間の舞台成果に対し、第4回テアトロン賞受賞。
1960年(昭和35年)
脳性麻痺のこどもの役を宝塚劇場でやり、脳性麻痺の子を知り、どのようなこどもにも、学ぶ権利があり、義務があると思う。厚生省の調べでは、まだ身体障害児の家庭にめぐまれないこどもの学校教育と生活の場が、与えられていず、法律も制度もないことを知り、建てることを決心する。女優の時間の外で、脳性麻痺、自閉症について少しずつ学びはじめる。母親が習うマリア=モンテッソリーの感覚教育を勉強しはじめる。
1962年(昭和37年)
土地探し始まる。土地が高く、買えないので、静岡県まで足をのばす。匿名のため人に相談できず難航す。
1965年(昭和40年)
6月、雨の日、海の見える砂丘のそばの小高い土地をこっそり見にゆく。
7月5日、静岡県小笠郡浜岡町池新田に用地決定。すべてのこどもに教育が受けられる権利があると考えはじめて10年。
海の見える砂丘のそばの小高い丘、静岡県小笠郡浜岡町に用地を決定する。
大きなネムの木がありピンクの花が咲いていた。
1966年(昭和41年)
社会福祉法人の設立認可のための、書類を厚生省に提出。
4月、ブラジル、サンパウロで野球場建設のためのチャリティーショー、1日3回公演を1週間歌いつづける。
6月、「まり子の女の四季」ワンマンショー等、舞台、テレビの合間に厚生省通い。
7月、「風と共に去りぬ」第1部、帝国劇場、菊田一夫脚本演出。
1967年(昭和42年)
2月1日、社会福祉法人ねむの木福祉会設立趣意書提出。
8月、第1期工事着工。
9月30日、起工式。宮城まり子がクワ入れ。最初の名前は「2人で、泣いている子にやさしくしようね」と亡くなった弟と約束していたのを思い出し「きょうだい学園」としたが、公私は別ねと、「ねむの木学園」に変更する。
1968年(昭和43年)
1月24日、社会福祉法人ねむの木福祉会設立認可。
2月~3月、「風と共に去りぬ」第2部、帝国劇場。
3月 、第1期工事竣工。
3月11~12日、ねむの木の塔にこども50人の絵を描く。カーテンにアップリケ。
厚生大臣賞受賞の日、何にもしないのに恥ずかしいからイヤとわがままをいい、パトカーで迎えに来られる。“表彰状 よりお金がほしいわ”。
4月1日、養護施設ねむの木学園設置認可。定員12名。障害児を守る法はなく、日本で初めての障害をもつ子の養護施設として認可される。
[養護施設]:(児童福祉法第41条)児童養護施設は、乳児を除いて、保護者のない児童、虐待されている児童その他環
境上養護を要する児童を入所させて、これを養護し、あわせてその自立を支援することを目的とする施設とする。
4月6日、落成式および開園式。園児8名。[児童居室(2)・教室兼ホール・保母室・浴室・厨房・洗面所]。
浜岡町立浜岡第一小学校・浜岡中学校ねむの木分教場開設。
「角笛シルエット劇場」、この年はじめとして30年間美しい影絵を浜岡町のこども達に提供し続ける。
6月~ 、「風と共に去りぬ」総集編。
7月、小さな自動車スバル君、こども達15人と子犬の絵を描く。天井に“オサキニドウゾ”、東名高速道路でエンコ。
8月、「セチュアンの善人」紀伊国屋ホール。
9月、「私が棄てた女」名鉄ホール(遠藤周作原作)。ハンセン氏病で一生を捧げた。
11月 、「雪之丞変化」梅田コマ劇場。
1969年(昭和44年)
2月、「金瓶梅」帝国劇場。
3月25日、第2期工事竣工[児童居室(4)・教室(4)・児童治療室・職員室・はじめのおへや<応接間]。
4月1日、定員の増員認可。定員50名となる。
幼稚園と間違ったのか、ある人に「よくもうかるでしょう」と言われる。
6月21日、第2期工事落成式。
「ポッポちゃんプール」完成。愛称は寄付者名から連想して付ける。底に絵を描いたが、水を入れると色がプクプク浮
いてきて、描きなおし3回目に完成。
1970年(昭和45年)
1月~、「新・桂春団治」大阪新歌舞伎座、「夫婦善哉」宝塚劇場、「台所太平記」。
1月5日~、「剣豪宮本武蔵に勝った強い奴」NETテレビで始まる。
3月~9月 、大阪万国博・電気通信館で、会期終了まで宮城まり子映像ショーの司会。これが縁で電々公社(現NTT)
が後援会に入る。カナダ館よりバスを寄贈される。
3月28日、 第3期工事竣工[職員住宅・小ホール<日常生活動作訓練室>・ゲストルーム]。
7月14日、大阪万博会場に天皇陛下をお迎えして、ハワイで宇宙中継(MC宮城まり子)。
1971年(昭和46年)
3月、「戦国慕情」帝国劇場出演中に、ねむの木学園では、としひろ君のてんかんの大発作、25時間続く。
4月 、NHK朝の連続ドラマ始まる。
6月 、シマ馬のゼンタ君」名鉄ホール。
7月 、ねむの木の塔に絵を描く。
9月26日、名鉄電車「ねむの木号」来る。
10月30日 、第4期工事竣工[機能訓練室・職員住宅]。
12月、「まり子のモノローグ」渋谷ジャンジャン。
職員退職(4名)。小ホールで死のうと思い3時間踊りつづけるが死ねない。プールサイドで泣いていたら、他の職員が
寄ってきて手をにぎりあう。
1972年(昭和47年)
1月、職員探し。
ねむの木学園児童作品展と宮城まり子メルヘンの世界」神奈川県立青少年センター。神奈川県重度在宅肢体不自由の
方のためのチャリティー。
「ねむの木学園作品展と宮城まり子の唄の会」静岡県の重度在宅肢体不自由の方のためのチャリティー。
2月、「三亀松さのさ話」名鉄ホール。
「お早ようパーソナリティ宮城まり子です」大阪朝日放送レギュラ-が始まる。毎週土曜日、夜中、東名を走る。
3月8日、全米肢体不自由児救護運動に宮城まり子が招聘される(国際イースター・シール協会)。3月8~19日開会式。
ノーマン=アクトン氏からアメリカのリハビリテーションについて教えをいただく。ロサンゼルス、サンフランシス
コ、ニューヨーク、ピッツバーグ、ミネソタの各リハビリテーションセンターをたずねる。
4月1日、4年目にねむの木学園を出て職業訓練所で働いてみたが、1か月でたおれた正則君帰ってくる。
ショックを受ける。
4月、「郡上八幡」帝国劇場。
5月、「子を貸し屋」芸術座。
6月 「あねしやま」芸術座。
英国チェシャヤー=ホーム海外渉外部長来園。
7月、ねむの木村建設のため、神奈川県知事、民生部長と会談、協力を得る。民生部長、城山町長と会談、候補地を見
に行く。地主の承諾が得られず断念。
9月、釧路青年会議所・父母の会の募金活動を手伝う。施設開設のため。
9月16日、全国養護施設の園長の会で、学力があっても、高校進学の費用を認めてもらっていず、大学進学への道はとざされていると教えられ、首相官邸に田中角栄総理に逢いに行き、児童福祉法の改正、措置費の引き上げ等、現状を説明する。どうか将来のある若者のために考えてください。
11月、ミュージカル・コメディー「イルマ・ラ・ドゥース」渋谷ジャンジャン(東京都職員にプレゼント)。
12月 、「雲の上団五郎一座」東京宝塚劇場。
1973年(昭和48年)
1月1日 、朝日新聞に「福祉元年」と題し、記事で初めて取材を受け、一生けんめいに話す。“福祉”が日本に定着しはじめた気配(食費1日256円、職員給料3万円台へ)。
1月18日、二階堂官房長官より、前年の9月の返事として、(1)養護施設→肢体不自由児養護施設へ (2)養護施設その他
の児童施設のこども達に高校進学の道 (3)各施設職員給与の引き上げ(措置費UP)(4)山口、大阪、北海道、長崎
に肢体不自由児養護施設(公立)設置予定。
3月9~12日、「イルマ・ラ・ドゥース」渋谷ジャンジャン再演。
16~17日、「イルマ・ラ・ドゥース」芦屋ルナホール、チャリティーショー兵庫県下のねたきり障害児のために。
4月1日 、肢体不自由児養護施設ねむの木学園となる。
[肢体不自由児養護施設の設置について]:(1973年4月12日児発第218号本職通知)各都道府県知事、各指定都市の市長殿、厚生省児童家庭局長。
肢体不自由児の福祉対策の推進については、従来から格別のご協力を煩わしている次第であるが、このたび、肢体不自由児施設等の医療機関に入所又は入院させて常時医療を行うことを要しない児童で、家庭において介護することが困難なもの等の一層の福祉の向上を図るため、当面の措置として養護施設の種別に肢体不自由児養護施設を設けることとしたところである。ついては、これらの児童の特性に徴し、その設備及び運営の基準を別紙のとおり定めたので、これが設置及び運営にあたっては、その適正かつ円滑なる実施を期せられたく、通達する。
[肢体不自由児養護施設の設備及び運営の基準]
第一肢体不自由児養護施設の性格。肢体不自由児養護施設は、上肢・下肢又は体幹の機能の障害のある児童(以下「肢体不自由児」という)で、かつ、原則として肢体不自由児養護施設等の医療機関に入所又は入院させて常時医療を行うことを要しないものであって、適当な介護者がいない児童その他環境上養護を要する児童を入所させて、これを養護するとともに、独立自活に必要な知識技能を与えることを目的とする施設とすること。
[養護施設入所児童等の高等学校への進学の実施について]:(1973年5月1日児発第278号)
(1)目的:養護施設入所児童等に高等学校へ進学する方途を開き、これらの児童の社会適応力を増大させ、将来安定した生活ができるようにするとともに、入所児童等に明るい希望を与え、その福祉の向上を図ることを目的とすること(1973年4月1日より適用)。
(2)対象児童:対象児童は、都道府県知事又は指定都市の市長児童福祉法第27条の規定により養護施設,虚弱児施設若しくは肢体不自由児施設(通園部門を除き、肢体不自由児を入所させる指定国立養所等を含む)に入所し、又は里親に委託されている児童であって、その能力、性向等に照し高等学校に進学させることが適当であると認めたものとすること。児童福祉法による収容施設措置費国庫負担金の交付基準について(1973年4月25日厚生省発児第84号の5厚生省児童家庭局長通達)第10、肢体不自由児養護施設の取扱いについて(児童指導員・保母、こども4名につき1人、看護婦定員50名につき3人、直接処遇職員については特殊業務手当てとして基本給に12~16%加算)。
[養護施設入所児童等の高等学校への進学の実施について]:(1973年5月1日児発第278号)
(1)目的:養護施設入所児童等に高等学校へ進学する方途を開き、これらの児童の社会適応力を増大させ、将来安定し た生活ができるようにするとともに、入所児童等に明るい希望を与え、その福祉の向上を図ることを目的とすること(1973年4月1日より適用)。
(2)対象児童:対象児童は、都道府県知事又は指定都市の市長児童福祉法第27条の規定により養護施設
虚弱児施設若しくは肢体不自由児施設(通園部門を除き、肢体不自由児を入所させる指定国立養所等を含む)に入所
し、又は里親に委託されている児童であって、その能力、性向等に照し高等学校に進学させることが適当であると認めたものとすること。児童福祉法による収容施設措置費国庫負担金の交付基準について(1973年4月25日厚生省発児第84号の5厚生省児童家庭局長通達)第10、肢体不自由児養護施設の取扱いについて(児童指導員・保母、こども4名につき1人、看護婦定員50名につき3人、直接処遇職員については特殊業務手当てとして基本給に12~16%加算)。
4月11日、第7回吉川英治文化賞受賞。
障害をもつこども達に愛と教育を捧げることを、ほめて下さる。
4月24~25日、「イルマ・ラ・ドゥース」ヤクルトホール再演。
4月、「宮城まり子のさあ手をつなごう」ニッポン放送始まる。
5月 、『ねむの木の詩』撮影開始、宮城まり子第1回監督作品。
7月~8月、「三婆」芸術座、有吉佐和子原作。
9月、「泥の中のルビー」東横劇場。
10月 、「世界に生きる・がんばれベトナムの子ら」毎日放送レポーターとして宮城まり子がビエン・ホアの孤児職業訓練センター他、訪問。
毎朝5時こども達に起こされ、キズやおできの手当、200人のこどもの手足に薬をぬり、足りなくなって、甘えにくる子のおできにはクリームでゴメン、化粧水まで。改めて愛にうえている子を認識する。
12月、「雲の上の団五郎一座」東京宝塚劇場。
1974年(昭和49年)
2月10日、『ねむの木の詩』有楽町朝日ホール完成試写会。
2月17日、水沢市厚生施設「愛光園」建設資金のため、チャリティー試写会『ねむの木の詩』街頭募金、色紙サインお手伝いする。
2月28日 、大阪フェスティバルホール試写会。
3月3日、森田たまパイオニア賞受賞。映画『ねむの木の詩』を通して、肢体不自由児問題に対する関心を高めるとともに、1974年において一番活躍した女性として認められる。
3月、日本ペンクラブ選奨『ねむの木の詩』。
4月、ねむの木分教場に障害別の特殊学級6学級設置認可。
4月1~10日、東京神田・岩波ホールで初上映、プレミアショー。
4月15日、重度障害児を守られた島田療育園長小林提樹先生退職、淋しい。
4月22日、文化庁最優秀映画賞『ねむの木の詩』。
4月~5月、「風と共に去りぬ」再演。
5月4日~ 、 アートシアターギルド(日劇文化劇場)でも上映し超満員となり、ロングラン上映。
5月11日 、『ねむの木の詩』ロードショー。
5月17日 、児童福祉文化賞『ねむの木の詩』。
5月20日、『ねむの木の詩』東京都庁鑑賞会。
参院選で福祉をいわない党がなくなった。立候補のさそい、ものすごく多い。
6月5~17日 、「イルマ・ラ・ドゥース」紀伊国屋ホール。
6月20日、「宮城まり子さんを励ます会」東京会館。
7月、「夏の家族」フジテレビで始まる。
『ねむの木の詩』カルロビバリ・チェコ国際映画祭、川喜多かしこ夫人と共に。
7月~10月 、『ねむの木の詩』民放ラジオ32社キャンペーン活動。
伸びゆく子どもたち”興業収入は上映した地方の施設へ寄付。
8月 、リスボン「国際リハビリテーション会議」に参加。
オランダの身体障害者の村、ヘット・ドルプ(村)を見学。20万㎡に413名、尊厳と独立心を持って生活している(ね
むの木村の原点)。
10月~11月 、いったい、いくつ講演できるか数えてみる、2か月間に51回。
講演で募金活動、沖縄整肢療護園に寄付。
1975年(昭和50年)
1月、「山彦ものがたり」紀伊国屋ホール。
「生き方百科」毎日新聞連載。
3月20日、京都のリハビリテーションセンター建設のため、オランダ、アメリカに次いで日本で初めてテレビマラソン、略してテレソンをする。
「25時間のテレソン」に多くの好意を頂いた。
5月、全国児童数3130万人のうち、肢体不自由児数4万9022人、施設数698か所、「ねむの木学園は施設ではなくスウィトホームである」(石垣純二氏の言葉)。
6月25日、第6回国際赤十字映画祭銀賞受賞。
7月、モスクワ映画祭招待される。モスクワ・こどもリハビリテーションセンター研修。
8月、「山彦ものがたり」日生劇場再演。
9月30日、第6期工事竣工[食堂・浴室・厨房・便所]。
10月1日、定員の増加認可。定員70名となる。
第12回ギャラクシー賞受賞。「まり子のチャリティーテレソン」
1976年(昭和51年)
2月2日、『可愛いおとこ」帝国劇場。
3月21日、浜岡砂丘に売店・喫茶「マリカ」完成。児童の職業訓練の場として実習・営業を開始。
4月6日、『ねむの木学園職能専門高等学院」教室完成、スタート。
6月、「山彦ものがたり」全国縦断公演。
10月16日、「まんが世界昔ばなし」テレビ東京放送始まる。
12月24日、クリスマスイブの夜、やすひこ、初めて「マ・リ・コ」と口を開く。
12月、初の美術展「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」を東京・渋谷の東急百貨店にて開催、大盛況となる。
「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」東宮御所(第2回)。
1977年(昭和52年)
1月、映画『ねむの木の詩がきこえる』完成。宮城まり子オフィス街に立ち、手描きの看板で映画のPRをする。
1月14日、大阪・フェスティバルホールでの上映には、3800人収容の会場に5000人の長蛇の列ができ、急遽、となりのガスビルで別会場を作り、かけもち上映する。
2月、「日本人萬歳」帝国劇場。
4月、ニューヨーク・ジャパンソサエティーにて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」開催(第3回)。4月18日カーター大統領夫人の希望でホワイトハウスに2点入館。夫人より「あなたの身体障害者に対する献身に心から感動します。永遠に続く友情を持ち、日本とアメリカの友好のために尽くしましょう」とのメッセージを受ける。
4月18日、文化庁最優秀映画賞『ねむの木の詩がきこえる』。
4月~5月、大阪・心斎橋そごう百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第4回)。1週間で12万人の入場記録をつくる。前日ニューヨークから直行し、翌午前3時まで飾つけをする。予想外の12万人の入場者にデパートの催しではめずらしく、会場を拡張。松下幸之助松下電器相談役が来場、「ええ絵やなぁ」。
5月3日、東京で「憲法記念日」の講演。ライシャワー氏・美濃部都知事・宮城まり子。
6月、画集『ねむの木の詩』第1集(宮城まり子編)刊行。
6月26日、『ねむの木の詩がきこえる』が第7回国際赤十字映画祭最優秀作品特別大賞を受賞。こども達への電報は「マリコナイタヨ ネムノキ バンザイ」。『ねむの木の詩がきこえる』は、美しく強く教育的でしかも人間性に満ちた作品であることが認められる。
7月~8月、東京・神田岩波ホールにて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」開催(第5回)及び『ねむの木の詩がきこえる』上映。同ホールの動員記録をつくる。
8月20日、モントリオール映画祭にて『ねむの木の詩がきこえる』上映。
8月、東京・玉川高島屋百貨店にて映画の受賞を記念し、再び「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」を行う(第6回)。
福岡・岩田屋デパートにて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第7回)。
10月、名古屋市・オリエンタル中村にて「ねむの木の子どもたちとまり子美術展」(第8回)。全額まり子の寄附で。
11月23日、第1回中村屋サロン賞受賞。「ねむの木学園」における福祉活動と映画の製作・監督による文化的社会的活動が認められる。
11月28日、OCIC賞受賞。『ねむの木の詩がきこえる』が優秀な技術と高邁な理念をもって製作されていることが認められる。
12月2日、『ねむの木の詩がきこえる』LP、ビクターヒット賞受賞。
12月24日、『ねむの木の詩がきこえる』フジテレビ放映。クリスマス特別番組。
1978年(昭和53年)
1月1日、『ねむの木の詩がきこえる』文化庁優秀映画奨励賞受賞。
1月、日本映画ペンクラブ賞受賞。『ねむの木の詩』『ねむの木の詩がきこえる』製作・監督は、こども達に寄せる深い愛情と励ましの心の現われであると認められる。
1月18日、第19回毎日芸術賞受賞。『ねむの木の詩がきこえる』の製作・監督、その芸術性に対して。
2月13日、第20回ブルーリボン特別賞受賞。『ねむの木の詩がきこえる』が、多くの人々に深い感銘を与えたことが、日本記者クラブより認められる。
3月、松山・伊予鉄そごう百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第9回)。
5月、札幌市・東急百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第10回)。
6月24日、京都市身体障害者リハビリテーションセンター開所式(まり子のテレソンによる募金3億1800万円を基金建設)。
8月、静岡市・田中屋伊勢丹にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第11回)。
横浜市・横浜高島屋百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第12回)。
大阪市・三越百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第13回)。
8月11日、厚生大臣賞受賞。映画『ねむの木の詩がきこえる』が、多くの人々に多大な感動を与えるとともに、我が国の心身障害児の教育と福祉に対する理解を深めるために寄与したことが、認められる。
12月23日、『ねむの木の詩』午後7:20~9:00、NHKで放映される。
1979年(昭和54年)
1月、画集『ねむの木の詩』第2集(宮城まり子編)刊行。
2月、札幌市・東急百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第14回)。
3月、京都市・京都高島屋にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第15回)。
3月11日、「ねむの木の子どもたち“やさしいことはつよいのよ”」東京12チャンネル日曜ビックスペシャル。ドキュメント監督宮城まり子。
3月、本当の教育を考え、学校法人ねむの木学園設立認可、ねむの木養護学校設立認可[学級数6、定員63名]。
4月6日、学校法人私立ねむの木養護学校(小学部・中学部)[学校教育法第71条及び第72条の2]により開校。理事長・学校長宮城まり子。お祝いの席で、厚生省の方が「5月1日から、20歳をすぎても学園にとどまれるよう法律がかわりました」と挨拶。まり子喜びで失心。
◎盲・聾及び養護学校の目的(学校教育法第71条)盲学校、聾学校、または養護学校は、それぞれ盲者(強度の弱視者を含む。以下同じ)、聾者(強度の難聴者を含む。以下同じ)又は精神薄弱者、肢体不自由者若しくは病弱者(身体虚弱者を含む。以下同じ)に対して、幼稚園、小学校、中学校又は高等学校に準ずる教育を施し、あわせてその欠陥を補うために、必要な知識技能を授けることを目的とする。
4月、第7期工事竣工[ねむの木こども美術館・ねむの木図書館・教室(3)・茶室・音楽室]。ねむの木こども美術館・図書館開館。「入場料ほしいナ、百円でもほしいナ、そのお金をこども達に役立てたいナ」。
5月1日、肢体不自由児養護施設が肢体不自由児療護施設へ変わる。従来の制度では、園児は20歳以上になると学園にとどまることができなかったが、新しい制度のもとで何歳まででもとどまることが可能になった(定員70名)。
[肢体不自由児療護施設](1979年5月1日省令改正・児童福祉施設最低基準第68条の3)病院に収容することを要しない肢体不自由のある児童であって、家庭における養育が困難なものを入所させる肢体不自由児施設。
◎肢体不自由児療護施設は、昭和54年(1979)5月1日から法体系に位置づけられたもので、全国的にも7か所程度と数少ない施設である。本県唯一のこの種の施設である「ねむの木学園」は、この施設体系を生み出した我が国最初の施設である。創設者本目眞理子が肢体不自由児に「学びの城」をとの強い願いから、昭和43年4月1日、児童福祉法に基づく養護施設として開設したが、入所者のほとんどが、脳性麻痺後遺症児のため、養護施設の措置費では運営が極めて困難なため、開設当初から毎年児童措置費の特別基準を設定し、この運営に対応してきた。その後、他の府県においてもこの種施設が設置されるに伴い国の制度も改正され今日にいたったものである(「静岡県社会福祉のあゆみ」)。
5月4日、西ドイツのピアニスト、クリストフ=エッシェンバッハ氏来園。氏の希望によりエッシェンバッハ「ピアノ練習曲」LP22枚(ポリドール)のジャケットに、こども達の絵が選ばれ、好評を得る。
6月~7月、広島市・三越百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第16回)。
8月、名古屋市・青少年公園にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第17回)。
世界と日本のこども達とまり子美術展参加、国際児童年記念。
ブルガリア・ソフィアにて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第18回)。
8月16日、ブルガリアのソフィアで開かれた国際児童年記念・第1回国際こどもアッセンブリ「平和の旗」に、日本代表として宮城まり子と園児8人が参加。たかひろが1300人を前に自作の詩「生きる」を朗読。「全世界が映画出品する。この映画祭に世界が考える集いの中に、日本からまり子だけ」映画、茶道、美術展、その他。肢体不自由児の参加は日本のねむの木学園だけ。
10月、大阪・心斎橋そごう百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第19回)。
11月、東京銀座・博品館劇場にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第20回)。同劇場でミュージカル・コメディー「イルマ・ラ・ドゥース」公演。
「第16回日本私立幼稚園PTA連合大会」日本武道館で講演。満員、こんな幼稚園があるのかとびっくり。
11月20日、内閣総理大臣賞受賞。国際児童年にあたり、わが国における児童の福祉の向上に顕著な功績があったことが認められる。
12月~1月、ミュージカル・コメディー「イルマ・ラ・ドゥース」博品館劇場。
1980年(昭和55年)
1月16~20日、「那須甲子少年自然の家」初めて行く、一面の真っ白な雪景色。
1月30日、映画『虹をかける子どもたち』完成。「シネ・ポエム的な美術映画」(佐藤忠男氏評)。
3月、第8期工事竣工[中庭のおへや<児童居室(7)・ナースステーション・洗濯室>・中庭・教職員住宅]。
3月~4月、金沢・大和百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第21回)。
4月18日、文化庁最優秀映画賞『虹をかける子どもたち』。
4月~5月、東京有楽町・外人記者クラブにて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第22回)。
5月2~6日、「まり子の歌とお話リサイタル」博品館劇場。車イスで出演。
7月10日~8月、宮城まり子、椎間板ヘルニアの手術、入院。
7月26日、『虹をかけるこどもたち』岩波ホール初日。車イスで挨拶。
「奇跡の人」でアニー・サリバン役をやった、パティ・デュークさんと対談。
8月、としみつ画「雪だるまの赤ちゃんエーンエーン」が美術展ポスター生活産業局長賞受賞。
8月9日、東京池袋・西武百貨店スタジオ200にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第23回)。3日間展示期間延長。
8月15日、日本ジャーナリスト会議賞受賞「愛と献身の活動記録映画3部作」。
『ねむの木の詩』『ねむの木の詩がきこえる』『虹をかける子どもたち』の3部作の記録活動が認められる。
8月31日、「まり子の歌とお話しリサイタル」福島文化センター。難病をなくし福祉を高めるつどい。
9月1日、吉行淳之介先生来園。
9月20日、アデライデ=リストリー賞受賞(イタリア)。愛をもってこども達を育てることは、人間の尊厳にかかわるものであるとして、評価される。
折り鶴、ヘリコプターよりまく。入院のお見舞いにいただいたもの。
11月21~26日、静岡市・西武百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第24回)。
12月11~16日、船橋市・西武百貨店西武美術館にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第25回)。
12月10日、子どもの絵が、日本国連協会のカレンダーになる(1981年度カレンダー)。国連カレンダーが、海を渡ってアメリカへ。レーガン大統領、フォード前大統領、モンデール副大統領、ワルトハイム国連事務総長、キッシンジャー元国務長官、政界首脳の間で大好評を得る。
1981年(昭和56年)
1月23日、絵を通してこども達と友達だった画家の谷内六郎さんが亡くなる。
3月4日、森のおへや<視聴覚室>完成。
4月17日~、大阪・心斎橋そごう百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第26回)。
4月25日、京都リハビリテーションセンター設立のため、2度目のテレソン「まり子の30時間テレソン」に出演。こども達は、ミュージカル・コンサート・茶道など披露。
5月2日~8月31日、『虹をかける子どもたち』大阪で3か月のロングラン上映。
5月2~10日、東京神田・三省堂書店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第27回)。
5月3日、「一日名誉人権擁護委員委嘱状」を受ける。こども達の人権は1日だけでは守れませんと、講演。
6月1日、浜岡町に売店「ホムジーショップねむの木」開店、実習開始。
6月13日、『虹をかける子どもたち』国際赤十字映画祭において、フランスよりシダラック大賞受賞。
7月9日、国際障害者年ラジオチャリティーショー。
8月15日、『としみつ』講談社より画文集刊行。
8月6~11日、岡山市・岡山高島屋百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第28回)。
8月13~18日、立川市・立川高島屋百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第29回)。
8月20日~、横浜市・横浜高島屋百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第30回)。
10月~11月、ハワイ・アラモアナショッピングセンターにて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第31回)。
12月8日、「イルマ・ラ・ドゥース」博品館劇場。同じく「宮城まり子の世界」個展。博品館ビル。
12月17日、第1回虹のファンタジー「まり子と歌うねむの木のこどもたち」東京・普門館。東京都の身体障害者の方々のためのチャリティーコンサート。
12月31日、年末チャリティーショー、NHK「広げよう心の輪」に出演。
1982年(昭和57年)
1月16日~3月5日、『虹をかける子どもたち』東京有楽町・ニュー東宝シネマ2にてロードショー。
1月22日~、東京池袋・西武百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第32回)。
3月、家庭科室・木工室完成。
3月5日~、宇都宮市・西武百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第33回)。
3月23日、ねむの木養護学校高等部設置認可(3学級、定員27名)。
3月24日~、広島市・三越百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第34回)。
3月26日、ピアニスト・クリストフ=エッシェンパッハ氏2度目の来園。ねむの木こども美術館にて、ピアノ演奏。
4月、教科書『高校生の現代社会資料集』帝国書院、ねむの木学園紹介。
4月17日、ねむの木の塔に18日朝5時半までかかって絵を描く。
福祉は文化、福祉(おもいやり)。
4月18日、ねむの木養護学校高等部開校入学式。
4月~5月、米子市・米子高島屋百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第35回)。
7月、「こどもの世界」テレビ東京始まる。
8月5~10日、岐阜市・岐阜高島屋百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第36回)。
8月15~25日、ブルガリアのソフィアで開催された第2回「世界のこどもの教育を考える」(国際こどもアッセンブリ「平和の旗」)日本代表として、宮城まり子、こども達3名と参加、シンポジウム及びパネルディスカッション講師。
8月26~31日、高知市・大丸百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第37回)。
障害者リーダー米国留学派遣事業実行委員就任。
「絵はがき」新潮社より発売、東山魁夷先生、谷内六郎先生とならんで。
9月17日、台風18号で被災した友達のために、こども達の発案で街頭募金をする。日本赤十字社に寄付し、感謝状を受ける。
9月28日~10月7日、第1回バンクーバー国際児童青年映画祭に国際審査員として出席。
10月14~19日、東京玉川・高島屋百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第38回)。
10月22~27日、大阪市・心斎橋そごう百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第39回)。
10月26日、コンサート『まり子と歌うねむの木の子どもたち」大阪。
10月、たかゆき画「ぼくとまり子」東京人形町サンマルコビルの大壁画となる。
11月22日、山路ふみ子賞受賞。
12月、第2回チャリティーコンサート「歌うねむの木のこどもたちとまり子」(大阪)。
第2回虹のファンタジー「宮城まり子とねむの木の子どもたち」厚生年金会館、東京都の心身障害児のためのチャリティーコンサート。
文/宮城まり子・画/きよみ『たんぽぽの子』刊行。
としみつ画「雪だるまの赤ちゃんエーンエーン」文房具他のキャラクター商品としてデビュー。
「としみつ」としみつ君の詩が合唱組曲となる。
第9期工事竣工[救急看護室]。
12月22日、「小さなラブレターまり子とねむの木のこどもたち」テレビ朝日アニメーション映画放映。
1983年(昭和58年)
4月、コンサート「虹のコンサート―歌うねむの木のこどもたちとまり子」。
こども達の絵がタオルに、オーミケンシより発売。
4月6日、朝日広告賞・特別賞受賞『虹をかける子どもたち』(昭和57年1月16日掲載企画・製作宮城まり子)。
4月17日、大阪中央体育館「ライオンズクラブ年次大会コンサート。
4月~5月、札幌市・東急百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第40回)。
5月5日、静岡県総合福祉会館落成記念コンサート。「歌うねむの木の子どもたちとまり子」。
5月、画集『ねむの木のこども美術館』刊行(毎日新聞社)
6月、スイス・チューリヒ・トンハレ音楽堂にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第41回)。クリストフ=エッシェンバッハ氏が絵の前でピアノ演奏。
7月、今治市・今治高島屋百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第42回)。
8月、東京池袋・西武百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展足」(第43回)。
大阪市・心斎橋そごう百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第44回)。
TBSラジオ「まり子のスケッチブック」100回記念公開録音コンサート(東京・TBSホール)。
11月~12月、ストックホルムのクルトゥールヒューセットにて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第45回)50日間。
11月24日、通産省産業局長賞受賞(全国カタログポスター展)。
12月28日、ロゴス協会完成記念コンサート「歌うねむの木の子どもたちとまり子」(東京・八王子)。宮城まり子初めて協会に壁画を描く。
12月、ケネディ財団に招かれてシンポジウム「障害児の教育を考える」で、宮城まり子製作・監督映画『A BIG HAND FOR ALL CHILDREN』を上映。各国から講演、フィルムの要請が相次いぐ。
1984年(昭和59年)
1月、横浜市・横浜高島屋百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第46回)。6日間で『入場者24万6000人の新記録を作る。
3月、スウェーデン・ヨテボリで開催された北欧表現芸術セミナーに、まり子が招待参加。
4月、ミュージカル・コメディー「イルマ・ラ・ドゥース」(東京・ヤクルトホール)にこども達の劇団「虹」がプロとして初舞台。
5月3日~、熊本市・岩田屋伊勢丹にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第47回)。
5月12日、九州厚生年金会館ホールにて「歌うねむの木のこどもたちとまり子」。
5月16日~、長崎市・浜屋百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第48回)。
5月23日、ワシントンで開催された「全米特別芸術祭」に日本代表として5名が招待参加、ダンス・茶道を披露。
6月6日~、福岡市・天神岩田屋にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第49回)。
7月31日、岐阜名鉄電車届く。
9月12日、「お月様コンサート」東京・東邦生命ホール。
9月18日、NHKラジオドラマ「新しい人よ眠ざめよ」(大江健三郎作)の挿入歌を歌う。
9月24日、PHP全国大会コンサートに出演(東京・中野サンプラザ)。
10月17日、内閣総理大臣中曽根康弘氏が視察。「こども達の才能を引き出す秘密は愛情とわかり、参考になった。福祉行政に生かしたい」と。
1985年(昭和60年)
1月30日、アフリカ難民のためのチャリティーコンサートを開く。
2月、札幌市・東急百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第50回)。
4月、天皇陛下より御下賜金伝達される(ねむの木養護学校)。
東京ゆうぽーとホールにて、クリストフ=エッシェンバッハ氏指揮、チューリヒ・トンハレ管弦楽団コンサート「ピーターと狼」に宮城まり子ソリストとして出演。親子で楽しめるコンサートをと日頃の感謝を込めてねむの木学園が主催。
5月、第10期工事竣工[教職員住宅]。
11月1日、こどもの城会館記念コンサート「かがやくこどもたち」(東京・青山劇場)に、ねむの木のこども達、郡山マンドリンクラブと共に出演。
12月、「まり子の小さなアングル」(フジテレビ)始まる。
1986年(昭和61年)
1月28日、全国カレンダー展にて印刷時報社賞受賞。
国際障害者年に行われた、「まり子のチャリティーテレソン」30時間テレソンに寄せられた募金1億円余を京都市に寄託、7200㎡の京都市スポーツセンター建設始まる。
3月27日、東京青山・こどもの城にてアンコール公演「350人による春のコンサート」。東京のこども達のコーラス300人、ねむの木学園50人。美智子妃殿下がご入院中なので、紀宮様がご観覧になり、さかんに拍手をおくられ、終演後ロビーにてねむの木のこども達とお話をされた。
3月、映画『HELLO KIDS!』完成。
4月20日~、造形作家イタリアの芸術家でルーノ=ムナーリの作品展をねむの木こども美術館で開催。こんな具合に、ねむの木で、他の方の作品展をいつかやりたいね。
6月、ニューヨーク・ハーレムのアポロ劇場で、映画『HELLO KIDS!』をチャリティー上映、収益金でハーレムのこども達のための家庭教育及び校外の教育に使える奨学金「MARIKO NEMUNOKI」を設立。
7月12日~、『HELLO KIDS!』ロードショー(岩波ホール)。
7月17日、第22回全国身体障害者スポーツ大会100日前記念公園「レッツスイング・レッツダンス」山梨県民文化ホール。
「ねむの木子ども美術館・図書館」日本博物館協会加盟。
8月8日、コンサート「真夏の夜のコンサート」東京有楽町・マリオン。
8月21日~、横浜市・横浜高島屋百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第51回)。
8月31日、花かつみマンドリンクラブとのジョイントコンサート(福島・郡山市文化ホール)。
10月8日、コンサート「宮城まり子フェスティバル=イン=サッポロ」札幌市民会館。
10月9日、コンサート「宮城まり子フェスティバル=イン=エニワ」北海道・恵庭市民会館。
10月~11月、東京青山・こどもの城にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第52回)。
11月、掛川市上垂木知山地区公会堂にてねむの木村建設に関する初めての地元説明会。
12月9日、総理府主催コンサート「障害者の日記念の集い」東京・朝日ホール。
1987年(昭和62年)
3月26日~、大宮市・大宮高島屋百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第53回)。
4月、何人かのこども達が、手描き友禅の指導を受けはじめる。
6月1日、『HELLO KIDS!』国際赤十字映画祭にて特別功績賞受賞。
7月26日、パリに向けて8名のこども達の合作、幅3.6m、長さ6.4mの大きな友禅「21世紀の花火」が完成。
8月1日、コンサート「宮城まり子のお話と歌・コンサート“こどもってなんだろう”」東京・こどもの城円形劇場。
8月6日~、東京日本橋・高島屋東京店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第54回)。
9月27日、ねむの木学園20周年記念コンサート「宮城まり子とうたう・こども・愛・祈り」東京・青山劇場。
12月~1月、フランスのパリ市立近代美術館において「NEMUNOKI美術展」開催(第55回)。画集『NEMUNOKI』刊行
1988年(昭和63年)
3月、第11期工事竣工[職業実習棟]。
新幹線掛川駅に、としお画「祈り」、としみつ画「虹の太陽」壁画として協力。
3月7日、東京銀座・マガジンハウスにて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第56回)。
3月10日~、東京玉川・玉川高島屋百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第57回)。
3月20日、コンサート「宮城まり子とかがやくこどもたち]神奈川・厚木市文化会館。
5月1日、ねむの木村サロン(ログハウス)落成式。
6月10日、ねむの木こども喫茶室・作品室「モモ」開室。
7月25日、ヘレンケラー教育賞受賞。「ねむの木学園」を創設して20年にわたり障害児の教育実践に努力するとともに、その成果が国内外の障害児教育の普及に寄与したことが認められる。
7月~8月、山形市・山形美術館にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第58回)と、「まり子のお話とねむの木、夏の日のコンサート」開催。
8月、大阪市・心斎橋そごう百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第59回)。
10月、静岡市・静岡松坂屋にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第60回)。
厚木市・厚木市文化会館にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第61回)。
11月~1月、笠間市・笠間日動美術館にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第62回)。
1989年(平成元年)
4月19日、東京池袋のアーバンネットビルにて、吉岡常夫氏の指導で大理石の染色モニュメント製作、除幕式及び植樹祭。
5月16日、CD・CT[NEMUNOKI」発表記念会見、コーラス披露。
5月21日、学校茶道合同茶会「お茶で学ぼう日本の心」静岡市民文化会館。
逓信博物館に宮城まり子制作「母と子」のレリーフ完成、こども達除幕式に出席。
7月27日、コンサート「宮城まり子とこどもたちによるミニコンサート」東京・イイノホール。
8月18日、神戸市・神戸大丸百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第63回)。
8月22日、神戸市政100周年・フェスティバル神戸大会記念美術展・講演会・映画会・コンサート「こうべ・ねむの木・宮城まり子」に出演(新神戸オリエンタル劇場)。
9月3日、コンサート「宮城まり子とかがやくこどもたちⅡ」厚木市文化会館。
9月12日、コンサート「宮城まり子とかがやくこどもたちによるミニコンサート」静岡県総合社会福祉会館。
9月17日、塩尻市政30周年記念コンサート「しおじり・ねむの木のこどもたち・そしてまり子」長野・塩尻市民会館。
10月16日~、コンサート「星が見える心 歌とおどりと和楽器と」東京・砂防会館ホール。
10月20日、静岡県社会福祉大会アトラクションへこども代表が出演(静岡市民文化会館)。
11月、掛川駅構内の「これっしか処」にねむの木こどものお店開店。
1990年(平成2年)
1月22日、文化庁芸術祭賞受賞。「星がみえる心―うたとおどりと和楽器と」における「宮城まり子と劇団虹」の出演と演技が評価される。滝沢修。
2月17日、ヒューストンで開催されたクリストフ=エッシェンバッハ氏指揮ヒューストン交響楽団コンサートに、こども達3名が、宮城まり子と渡米、3000人ものパーティーに出席。
4月26日、橿原市・橿原近鉄百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第64回)。
5月3日、四日市市・四日市近鉄百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第65回)。
6月~7月、岡崎市・おかざき世界子ども美術博物館にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第66回)。
8月17日~、和歌山市・和歌山近鉄百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第67回)。
9月16日、コンサート「金沢ふれあいコンサートⅢ」石川県婦人会館ホール。
11月13日、静岡県知事賞受賞。多年にわたり「社会福祉法人ねむの木福祉会」理事長とし社会奉仕の精神に徹し、深い
愛情と強い信念をもって教育と福祉の向上に献身していることが認められる。
1991年(平成3年)
2月17日、丸子梅園にて満開の梅のもとでお茶会開催、お点前を披露(静岡市・丸子)。
4月、としみつ画・宮城まり子ナレーションによるビデオ「としみつ」を発売。
4月14日、コンサート「宮城まり子とかがやくこどもたち?」厚木市文化会館。
5月21日~6月、ニューヨーク市ジャパン・ソサエティーにて、美術展及び美術・障害児教育等の専門家によるシンポジウムを開催。パネラーとしてまり子出席。同所にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第68回)。
7月18日、辻村教育賞受賞。肢体不自由児の情操教育に力を注ぎ、その表現力の豊かさを世に知らしめるとともに、特殊教育の振興に顕著な功績があることが認められる。
8月~9月、東京築地・朝日新聞社ギャラリーにて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第69回)。
9月~10月、ドイツケルン・日本文化会館にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第70回)、及び美術・障害児教育等の専門家によるシンポジウムを開催。
10月21日、エイボン女性大賞受賞。「ねむの木学園」を創設し、福祉条例の改正を推進するとともに、こども達の「心の教育」に献身的な情熱を傾けた業績が認められる。
11月16日、しずおか演劇祭参加。ねむの木学園秋のコンサート「宮城まり子とうたう・おどるこどもたち」静岡市民文化会館。
11月21日、ローマにて美術展及び美術・障害児教育等の専門家によるシンポジウムを開催。
11月~12月、イタリアローマ・日本文化会館にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第71回)。
1992年(平成4年)
5月13日~、大阪市・心斎橋そごう百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第72回)。
5月、第12期工事竣工[教職員住宅増築]
8月、名古屋市・松坂屋百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第73回)。
8月~9月、千葉県柏市・高島屋百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第74回)。
10月23日、静岡県・浙江省友好提携10周年記念「ねむの木友好コンサート」。
11月5日、日本顕彰会賞受賞。「ねむの木学園」の理事長及び園長として障害をもつこどもの療育に尽力するとともに、福祉問題への国民意識の高揚に不断の努力をしていることが認められる。
11月13日、ペスタロッチー教育賞受賞(広島大学教育学部)。日本で最初の肢体不自由児養護施設「ねむの木学園」を開設し、爾来こども達の才能とその可能性を信じ、教育実践に打ち込んできたことは、ペスタロッチーの教育理念の具現である、と評価される。
12月、天皇・皇后両陛下御臨席の下「国連障害者の十年 最終年記念式典」に、宮城まり子とこどもの代表が列席。
「宮城まり子とねむの木のこどもたち」コンサート(東京・朝日ホール)。
1993年(平成5年)
3月、「マリカ」改修工事完了(2月16日工事開始)。
3月29日、東京都文化賞受賞。障害児教育に献身的に取り組み、こども達の隠れた才能を引き出した教育の成果は、「福祉は文化である」の現れであると評価される。宮城まり子、東京都文化賞受賞パーティーにて、こども代表がコーラスを披露。
8月~9月、厚木市文化会館15周年記念コンサート「宮城まり子とかがやくこどもたち」及び「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」を開催(第75回)(厚木市文化会館)
11月、ダスキン30周年記念式典にて、「宮城まり子とこどもたちコンサート」(ハワイ)。
1994年(平成6年)
1月3日~、四日市市・近鉄百貨店「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第76回)。
1月17日、掛川市上垂木「ねむの木村」第1期造成工事―身体障害者療護施設・養護学校起工式。掛川の桜木池の周辺、花と緑の土地に、障害を持つ大人の方の施設の新設と、肢体不自由児の学園ならびに学校の改修・新築をもって、日本一の福祉文化村を期し、工事の安全を祈願する。
3月31日~、東京・玉川高島屋百貨店(アレーナホール)にて個展「しょうごその絵の世界 もう一つのねむの木 情熱色の人・しょうご」(第77回)と、ショー「宮城まり子とねむの木のこどもたち」。
4月、天皇・皇后両陛下ねむの木学園ご視察。先導・説明は宮城まり子。
はじめのお部屋―やさしいお部屋(絵)―りんごのお部屋(算数)―中庭―みんなのホール(歌=「幸せは樹のように」「ママに捧げる詩」。ダンス=「いのり」「マンティカ」)―PT室(訓練)―高等部(木工、織物)―オープンクラス(国語・算数・絵)―美術館。
両陛下は、一人ひとりのこどもに声をかけられ、終始なごやかにご視察される。
5月3日~、北九州市・小倉そごう百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第78回)。
5月21日、宮崎市制70周年記念・福祉文化公園開園記念「ふれあいコンサート‘94―宮城まり子とねむの木学園のこどもたち」宮崎市民会館。
6月24日、「ねむの木学園27年目のコンサート」東京五反田・ユーポートホール。
7月2日、第31回公演「角笛シルエット劇場」を主催。浜岡町とその周辺市町村のこども達に視聴覚教育として提供。
7月26日、学校理事吉行淳之介亡くなられる。
9月6日、「ねむの木村」第一期造成工事着工―平成6年度分・身体障害者療護施設建設用地の造成。
11月8日、宮城まり子講演と、ねむの木学園のこども達ミニコンサート(神奈川・鎌倉女子大学)。
11月18日、第25回博報堂賞「博報堂教育特別賞」受賞。こども達一人ひとりから持てる力を引き出すことに全力を傾注し、その成果が「ねむの木学園27年目のコンサート」として実を結ぶとともに、この努力は国内のみならず国際的にも大きく注目されていることを評価される。
12月、東海郵政局で、こども達の絵をデザインした絵ハガキ「夢いっぱい」発売開始。
12月17日、宮城まり子「セイクリッド・ソウル賞」受賞(インドネシア・ジャカルタ)。Sacred Soul Award-Culture Care。人類の社会的な価値観を積極的に実証している人達を支援することを目的としている、Culuture Care により、世界の中で模範的な活動をしていることが、認められる。
1995年(平成7年)
2月1日、「ねむの木村」施設整備基本設計審査。
2月2日、「ねむの木村」第一期造成工事着工―平成6年度分・その2、道路造成工事。
4月、松山市の福岡正信先生農法による粘土だんごの作り方、蒔き方、栽培された野菜の見学等を実施する(宮城まり子・教職員・こども5名)。その後、ねむの木村で粘土だんごの種蒔きをする(トウモロコシ・大根・大豆・いんげん・ほうれんそう・南瓜等)。
4月13日、『ねむの木学園こども美術館』(宮城まり子編)刊行。
『ねむの木・まり子・こどもたち』刊行。
4月25日~5月8日、横浜そごう百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第79回)。
4月27日、MDRT(Million Dollar Round Table)日本会、第25回定期総会オープンセミナー、フィランソロフィーのテーマに出演。コンサート「宮城まり子とねむの木の子どもたち」横浜国立大会議場。
4月29日、コンサート「宮城まり子とねむの木の子どもたち」横浜新都市ホール。
5月13日、コンサート「宮城まり子とねむの木の子どもたち」北海道・室蘭市文化センター。
6月17日、コンサート「宮城まり子とねむの木の子どもたち」アメリカサンフランシスコ・マソニックセンター。
6月24日、第31回公演「角笛シルエット劇場」を主催。午前(保育園児・幼稚園児)、午後(小・中・高・一般・ねむの木学園)が観劇。
7月10日、「エンカンタダス」(吉行淳之介訳)宮城まり子ソロ、クリストフ=エッシェンバッハ指揮、ヒューストン交響楽団(東京芸術劇場)。
7月16日、「エンカンタダス」(吉行淳之介訳)宮城まり子ソロ、クリストフ=エッシェンバッハ指揮、ヒューストン交響楽団(厚木市文化会館)。
7月21日、「エンカンタダス」宮城まり子ソロ、クリストフ=エッシェンバッハ指揮、ヒューストン交響楽団(札幌厚生年金会館)。
8月4日~8日、第19回全国高等学校総合文化祭新潟大会に、静岡県代表としてつとむの手描き友禅が出品される。
9月22日~10月22日、諏訪市・ハーモ美術館にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第80回)。
10月2日、身体障害者療護施設「のどかな家」建設地鎮祭。宮城まり子とこども・教職員代表29名が参列。
10月12日、全日本音楽教育研究会全国大会静岡大会―心身障害児教育部会にて宮城まり子講演「歌詞とメロディと心」。講演と共にねむの木のこども達のコーラス、全国の音楽教師に。
10月27日、コンサート「宮城まり子とねむの木の子どもたち」宇都宮市ダスキンアベニュー。
12月11日、東海郵政局で、こども達の絵をデザインした絵ハガキ「夢いっぱい?」発売開始。
12月、「宮城まり子が読む」サンケイ新聞連載。
1996年(平成8年)
1月11日、「ねむの木村」第1期建築工事―肢体不自由児療護施設「ねむの木学園」[ねむの木養護学校」移転・改築着工。建設地鎮祭。宮城まり子とこども・教職員42名参列。
1月19日、さとうたかひろの詩集『ねむの木の心の空はいい天気』刊行。
1月27日、菊川文化会館アエルにてミニコンサート。
2月、石井十次賞選考委員就任。
4月16日、日本歌手協会「第24回歌謡祭」出演(東京ゆうぽうと)。
5月7日、福岡正信先生講演、「宮城まり子とねむの木のこどもたち応援コンサート」東京・東邦生命ホール。
8月3日、ねむの木学園夏祭り。O-157による食中毒が猛威を振るっていたが、注意を払って食べ物の出店を少なくし、花火や盆踊りで賑やかとして地域との交流を図る。
8月11日、山形県出羽遊心館お茶会。
8月12日、コンサート「宮城まり子&酒田・ねむの木こどもたち」山形・酒田市総合文化センターホール。
8月13日、土門拳記念館見学。
9月16日、吉備路文学館にて吉行淳之介先生に感謝をこめて、こども達ミニコンサート。
10月、「ねむの木村」第1期建築工事―職員宿舎新築着工。
10月20日、ねむの木学園浜岡での最後の運動会。一人ひとりのこどもが思い出を刻むことができるように、「ラビットの音」「アトランタよりねむの木へ」など、全員出演のプログラムを構成。
11月18日、高木賞受賞。肢体不自由児には治療・教育・職能の三要素が必須であることを力説し、整肢療護園を創設した高木憲次氏の精神の具現者として、その活動を高く評価される。
11月30日、「ねむの木学園コンサート」パシフィコ横浜メインホール。
1997年(平成9年)
4月6日、「ねむの木学園」行バス開通。
4月、労働金庫預金通帳の表紙にねむの木のこども達の絵が採用される。
4月29日~5月5日、北九州市・小倉そごう百貨店にて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第81回)。
5月6日、ねむの木村のお花畑、新聞に紹介されたくさんの人が訪れる。
5月27日、ねむの木村へ引っ越し。
7月12日、「角笛シルエット劇場」掛川市のこども達への第1回目の影絵鑑賞プレゼント。
7月23日、秋篠宮殿下妃殿下お成り。
8月1日、「ねむの木のどかな家」開園。
8月、ウィーン・ライン川で8人の芸術家の家研修。
8月5日、吉行淳之介文学館地鎮祭。
8月6日、喫茶MARIKOオープン。
9月6日、ねむの木村に引っ越して初めてのお祭り。日照り続きで困っていた時に、つとむ君の大太鼓で奇跡的に雨が降る。お客様に感謝される。
12月16日、テレビ静岡グランプリ大賞受賞(静岡朝日テレビ)。福祉に対する情熱と行動力を高く評価される。
1998年(平成10年)
2月28日、地域交流ホーム竣工。
3月~4月、「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第82回)ハーモ美術館アンコール展。
3月13日、新幹線掛川駅10周年記念イベント除幕式「虹の汽車」つとむ君。
3月19日 、心の賞受賞(経営と心の開発の会)。ねむの木学園のこども達への教育活動に対して、表彰を受ける。
4月4日、中庭にモザイクタイルで噴水づくりを始める。
4月5日、3軒のお店(雑貨屋さん、がらす屋さん、毛糸屋さん)こども達の実習のお店開店。
4月30日~ 、ねむの木村入り口にタイル壁画を制作。
6月13日、「角笛シルエット劇場」お客が多すぎて急遽三回公演となる。
6月26日~ 、7月神戸市コープこうべ生活文化センターにて「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(第83回)。
7月22日、音楽セラピーシンポジウム(ティアラこうとう)、宮城まり子講演(こども達コーラス)。
8月1日 、『ねむの木学園・まり子さんと54人の子どもたち』写真集刊行。
10月2日、日本歌手協会「第25回歌謡祭」出演。
10月18日、「宮城まり子とねむの木学園コンサート」新国立劇場。
11月3日、世田谷文学館において、吉行先生ありがとうコンサート。
12月5日、「第1回 静岡障害者芸術祭」静岡市グランシップ。
12月9日、特殊教育120周年記念式典、宮城まり子が教育功労者表彰を受ける。
12月13日、「宮城まり子とねむの木学園コンサート」パシフィコ横浜メインホール。
12月23日 、天皇陛下より御下賜金を賜る(ねむの木学園)。
1999年(平成11年)
1月18日、ねむの木美術館地鎮祭。
1月21日、吉行淳之介文学館~茶室上棟式。
2月20日、城下町ねむの木学園のお店地鎮祭。
5月15日、ねむの木村開村式。吉行淳之介文学館及び、ねむの木美術館開館。
5月、「宮城まり子とねむの木学園コンサート」(埼玉県三郷市)
9月、「宮城まり子とねむの木学園コンサート」(新国立劇場)
9月19日、裏千家 鵬雲斎大宗匠 来園(吉行淳之介文学館内の茶室に「和心庵」と茶室名を下さる)
10月4日、ハーティヒューマン賞受賞。経営と心の開発の会。
10月9日、ねむの木「大学」開講(井口潔先生、吉行淳之介文学館にて)。
11月14日、第2回ねむの木大学(村井実先生・吉行淳之介文学館にて)
12月24日、天皇陛下御下賜金伝達式(県庁)。
2000年(平成12年)
1月16日、第3回ねむの木大学(一番ヶ瀬康子先生 吉行淳之介文学館にて)
2月18日、INAXデザインコンテスト表彰式。
3月25日、宮城まり子とねむの木学園コンサート(生涯学習センター)。
4月20日、第4回ねむの木大学(薪能 「羽衣」 シテ 観世暁夫)吉行淳之介文学館にて。
5月17日、日本文芸協会・児童文化功労賞受賞。
12月8日、都市景観賞受賞。
12月12日、第5回咢堂賞受賞。
2001年(平成13年)
3月14日~4月1日、大阪美術展。「宮城まり子とねむの木学園コンサート」(大阪国際会議場)
5月21日、壁画製作(黒田征太郎氏、こども達と一緒に)
9月30日、東京フォーラムコンサート(東京シビックホール)。
2002年(平成14年)
3月23日、エルメス社長来園。力君のアラスカでおよぐ鹿をお買い上げ下さる。商品になる。
8月20日、JFTD(花キューピット)第50回全国・静岡大会において
「ねむの木学園ミニコンサート」(アクトシティ浜松)。
9月7~22日、福岡市美術館美術展。
10月12日~11月4日、瑞浪芸術館美術展。
2003年(平成15年)
3月21日~6月1日、「ねむの木学園美術展」(長崎ハウステンボス)
6月17日、白鳥2羽長崎より来る。
8月3日、花輪小学校100周年記念講演。
10月26日~11月9日、新潟・上組み小学校展。
11月8日、 国体静岡で、わかふじ国体・開会に出演。
12月21日、第5回ねむの木大学、前橋汀子コンサート。
2004年(平成16年)
4月13日 、石井十次賞授賞式。
5月17~29日、「ねむの木のこどもたちとまり子ガラス展」(ギャラリー新居東京店)。
8月15日、ガラス工房オープン。
10月1日、東京都名誉都民に顕彰される。いろいろな条件の中に東京都民に深く愛されるの所があり、そのことがうれしい。東京都現代美術館に決まる。
11月5日、日本私立・中高校連合会緊急集会(武道館)で講演。
2005年(平成17年)
4月27日~5月9日、横浜高島屋ギャラリー展。
7月23日~8月14日、東京都現代美術館美術展。今年度お買い上げいただいた本にありったけのサインをしよう。ねむの木学園の収入を得なければならない。
8月2日、石原慎太郎都知事来館。いいねぇコンテンポラリーだナ。絵をごらんになっての感想。
8月12日、皇后陛下・美智子様来館。あの子はこの子はと、お心を寄せてくださる。一点一点見て下さる。
8月27日、ねむの木新美術館地鎮祭。
10月18~30日、静岡県立美術館美術展。
11月19日~12月3日、ねむの木ガラス展覧会(ギャラリー新居東京店)。
12月5日、東京芸術劇場コンサート。演出・振りつけ・衣装、まり子担当。絵ではないコーラス・ダンスのすべて、ども達の表現の総ざらいのつもり。
2006年(平成18年)
4月2日、裏千家 鵬雲斎大宗匠より長年の学校茶道への献心と成果により表彰される。うれしい。
4月16日~5月14日、瑞浪芸術館美術展。小さい展覧会が出来るか考えるため。
新ねむの木こども美術館の屋根銅板曲げ加工。 3,000枚もの銅板をこどもたちが、藤森照信先生や宮城まり子といっしょに根気強く、一枚ずつ手で曲げる。
6月、新ねむの木こども美術館の芝棟作り。蒸し暑いなか、宮城まり子に見守られ、藤森照信先生や南伸坊氏や赤瀬川原平氏らとともに、こどもたち集中して取り組む。
7月、 第39回「角笛シルエット劇場」を主催する。 掛川市生涯学習センター
7月27日~8月7日、「ねむの木のこどもたちとまり子展 」 新潟伊勢丹.新潟地震で被害にあわれた方々への励ましと交流も
あって、新潟で開催する。こどもたちの募金を新潟県知事に直接届ける。
後日、この募金により、山古志村にネムノキが植えられた。ネムノキのたくましさと、ねむの木のやさしさに見守られて
ほしいと願っている。全日を通してのすべてのものにサイン。
「からだにこたえる。弱くなった、11日間1850冊。年かナ。」と。
8月9日~8月13日、「異才たちのアート展 」 西武池袋本店全国から50人50点が招待され、ねむの木からは、としみつの「ぼ
くとかあさん」、ゆみこの「お花畑」が展示れた。後日刊行された作品集でも、1頁目と2頁目を飾る。
10月、第38回ねむの木学園大運動会10月から実施される障害者自立支援法の法改正よる、どうやってやっていくかの
書類づくり。来年のねむの木40年にそなえてなにをするか?毎日たえられないほどいそがしい。
11月、新美術館へ壁画制作。外壁にこどもたちが、同じテーマで自由に絵を描く。(3月、4月にも描く。)
2007年(平成19年)
3月 、ガラスギャラリー着工。評価の高い宮城まり子の作品中心に、こどもたちの作品も一部展示するために、小さなギャラリーの建築工事に着手する。
宮城まり子 ゴールデン・グローリー賞受賞
4月 、学校教育法の改正を受け、学校名「ねむの木養護学校」を「特別支援学校ねむの木」に変更する。
新ねむの木こども美術館開館。石川嘉延静岡県知事と藤森照信先生を迎えて、ねむの木として三つ目、ねむの木村では二つ目のこども美術館を開館する。
宮城まり子静岡県顕彰
6月 、 「ねむの木のこどもたちとまり子美術展 」六本木ヒルズ52階森アーツセンターギャラリー
ねむの木学園にお心をかけてくださっておられる美智子皇后陛下が来館され、じっくり鑑賞されていた。新しい試みである黒の壁面は大好評で、訪れた中央官庁や財界及び議員の先生方はじめ、多くの皆さんに驚きと新鮮な感動を与えた。こどもたちのコーラスも大評判となった。
6月3日 、NHK新日曜美術館に、4月に開館したねむの木こども美術館がとりあげられる。評判を呼び、再放送、再々放送となる。この放送により県外からの来館者が増える。
6月16日 、第40回「角笛シルエット劇場」を主催する。掛川市生涯学習センター
7月4日、アメリカ大使館で開催された、アメリカ独立記念日の式典にこどもたちが招かれ、各国要人の方の前でコーラスを披露する。
7月14日~8月26日、「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」米子市美術館
米子市美術館の全館に、たくさんの絵画及び工芸作品を展示する。訪れた多くの方にあらたな感動を与える。25年ぶりの米子での美術展となる。
10月4日、学校法人ねむの木学園の理事及び評議員である日野原重明先生96歳バースディコンサート2007に招かれ、こどもたちがコーラスを披露する。
10月21日、第39回ねむの木学園大運動会。
11月15日 、NHKハート・コンサート静岡市グランシップにて、こどもたちが招待され、コーラスを披露する。
12月4日、アメリカ大使館で開催された、国際福祉協会総会にこどもたちが招かれ、各国の皆さんの前でコーラスを披露する。
2008年(平成20年)
3月9日、「宮城まり子とねむの木学園コンサート 私の静岡こんにちは! 」 静岡市グランシップチケットが数日で完売するほど、皆さんの期待が大きかった。宮城まり子による詩の朗読、こどもたちのダンスやコーラスによって、会場全体が輝いていた。来場者に差し上げた、ねむの木染めハンカチによるフィナーレの一体化も見事であった。
5月23日、厚生労働省障害福祉課長ほか6名視察
6月14日、第41回「角笛シルエット劇場」を主催する。掛川市生涯学習センター
7月12日、地元知連山中地区の皆さんと懇談会を行う。
7月23日、ジャズピアニスト小曽根真氏と交流する。(10月30日/1月12日来園)
8月6日、シーファーアメリカ駐日大使が来園し、こどもたちと国際交流する。
8月2日~31日、「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」愛知県高浜市・かわら美術館美術館も驚く大きな反響があった。
宮城 まり子の新聞連載記事をお持ちになる方も多かった。こどもたちのコーラスも、身動きがとれないほどの来館者に囲まれ、好評であった。
9月学校茶道合同茶会に代表のこどもたちが参加する。浜松市松韻亭。(9月23日)
10月19日、第40回ねむの木学園大運動会。
10月20日、第21回東京国際女性映画祭において「ねむの木の詩がきこえる」が上映され、拍手喝采をあびる。
2009年(平成21年)
1月12日、8月に来園し感動されたシーファーアメリカ駐日大使がご夫妻で再来園され、こどもたちと感動的な交流をする。
3月12日、宮城まり子日本クリエーション大賞受賞隠れたクリエイティビティを開花させた、ねむの木学園40年の歩みに
対して、クリエイティブな視野で生活文化の向上に貢献し、時代を切り拓いた人物や事象を顕彰する「日本クリエーショ
ン大賞」を受賞する。
4月28日~5月23日 、第98回「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」金沢21世紀美術館展開催(市民ギャラリーA・B)。代表のこどもたちが、期間中宮城まり子の指揮で連日コーラスを披露。会場内がお客様であふれる程の大盛況であ
った。
6月27日、第42回「角笛シルエット劇場」を主催する。掛川市生涯学習センター
8月1日、東京フィルハーモニー交響楽団「こども音・楽・館2009」に宮城まり子特別ゲスト,ホール(8月1日)に出演、会場前にこどもたちの絵が飾られる。(会場東京オペラシティコンサートホール)
9月23日、学校茶道合同茶会に代表のこどもたちが参加する。(浜松市松韻亭)
10月18日~11月23日、「宮城まり子とねむの木学園展(ガラス作品・絵画)」瑞浪芸術館、何度か宮城まり子とこどもた
ちが会場でコーラスを披露し、好評を博す。
10月27日、「きらり!ふれあいコンサート」掛川市生涯学習センター
11月1日 、第41回ねむの木学園大運動会
11月15日、「宮城まり子とねむの木学園のこどもたちコンサート」静岡県グランシップ中ホール・大地、開場13:30コン
サート終了後、伊豆地方で地震の被害にあわれた方々のために募金を行なう。
12月20日、「宮城まり子とねむの木のこどもたちクリスマスコンサート」グランシップ中ホール・大地開場13:30
2010年(平成22年)
1月13日 、 第61回全国カレンダー展において、ねむの木学園カレンダーが経済産業大賞を受賞総合的な優秀作品で特にデザイン・印刷技術に優れていると認められる。
主催:(社)日本印刷産業連合会・日本印刷新聞社
5月15日、グループ銀河(金沢市)来園、パネルシアターと楽器演奏に対し、こどもたち合唱で応える
5月1日~8月1日 、「宮城まり子が選ぶ吉行淳之介作品展」吉行淳之介17回忌を機に、吉備路文学館(岡山)の要請で
開催される。
宮城まり子と代表のこどもたち5名は、期間中随時会場入りしコーラスとダンスを披露し、好評を博す。
6月27日、第43回「角笛シルエット劇場」を主催する。(掛川市生涯学習センター)
8月、川勝平太静岡県知事来園。
9月11日 、テレビと生涯学習「きみにつたえたいやさしい未来」しずぎんホール(平成22年度民間放送教育協会
関東・中部・北陸地区研究協議会静岡大会)宮城まり子基調講演。オープニングアトラクションで子どもたちのコーラス&ダンスを披露。会場にこどもたちの絵が展示される。
9月23日、学校茶道合同茶会に代表のこどもたちが参加。浜松市松韻亭
9月30日から10月1日 、第15回日本肢体不自由児療護施設連絡協議会主管ねむの木学園会場:舘山寺
10月24日 、第42回ねむの木学園大運動会。参加者約850名
10月27日 、「キラリ!ふれあいコンサート」掛川市生涯学習センター
11月 、宮城まり子静岡英和女学院で講演。こどもたちもコーラスとダンスを披露する。
2011年(平成23年)
1月、第62回全国カレンダー展において、ねむの木学園カレンダーが第62回全国カレンダー展で会長賞を受賞する。主催:(社)日本印刷産業連合会・日本印刷新聞社
3月28日、 静岡県舞台芸術センター(SPAC)の方々が50名来園、ダンスを通じて交流する。
4月10日・18日、東日本大震災募金活動青葉公園(静岡市葵区)
6月25日、第44回「角笛シルエット劇場」を主催する。掛川市生涯学習センター
9月16日~10月23日 、瑞浪芸術館美術展開催
10月23日、第43回ねむの木学園大運動会。
10月28日、きらり!ふれあいコンサート」掛川市生涯学習センター
2012年(平成24年)
1月11日、第63回全国カレンダー展において、ねむの木学園カレンダーが国立印刷局理事賞(壁掛けカレンダー)と
全国中小企業団体中央会会長賞(卓上カレンダー)の2つ受賞。主催:(社)日本印刷産業連合会・日本印刷新聞社
4月1日、障害者自立支援法及び児童福祉法の改正に伴い、新体系に移行。指定福祉型障害児入所施設ねむの木学園 やさしいお家・指定障害者支援施設ねむの木学園 星に祈る・指定障害者支援施設ねむの木学園 感謝の心
4月 、ねむの木のこどもたちとまり子コンサート「祈り・ねむの木の詩」パワー浜松ロータリークラブ10周年記念(オークラアクトシティホテル浜松)。東日本大震災にて被災された方々への思いを込めて出演。宮城まり子の講演とこどもたちのコーラス・ダンスを披露する。
4月23日、第45回「角笛シルエット劇場」を主催する。(掛川市生涯学習センタ-)
9月23日 、学校茶道合同茶会に代表の子どもたちが参加。(浜松市松韻亭)
9月30日、宮城まり子とねむの木のこどもたちコンサート。(宮城県塩釜市)
10月1日、宮城まり子とねむの木のこどもたちコンサート。(岩手県二戸市)東日本大震災にて被災された方々のため、直接現地に赴き宮城まり子の講演とこどもたちのコーラス・ダンスを披露する。
10月21日、 第44回ねむの木学園大運動会開催。お客様約720名。
10月26日~12月25日 、「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」開催。~ねむの木学園創立45年記念~(伊藤忠青山アートスクエア)
11月15日、宮城まり子が瑞宝小綬章を受賞。叙勲伝達式及び拝謁。
12月11日、皇后陛下が「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」をご鑑賞される。(伊藤忠青山アートスクエア)
天皇陛下より学校法人ねむの木学園に御下賜金を賜る。
1月 、第64回全国カレンダー展において、ねむの木学園カレンダーが実行委員会奨励賞を受賞。(社)日本印刷産業連合会、(株)日本印刷新聞社
2013年(平成25年)
2月26日、「宮城まり子とねむの木学園のこどもたち」コンサート開催。(銀座ヤマハホール)/主催社会福祉法人ねむの木福祉会ガード下の靴みがき~ねむの木の詩宮城まり子唄の自叙伝CD発売記念コンサート(昼・夜の部2回開演)
9月、ねむの木学園創立45周年を記念して映画4作品をDVD化する。
1974年作品「ねむの木の詩」・1977年作品「ねむの木の詩がきこえる」・1977年作品「虹をかける子どもたち」・1986年作品「HELLO KIDS!」
10月、第45回ねむの木学園大運動会。全国から参加者約800名。
10月26日~11月15日、『ねむの木の詩』映画フェスティバルが開催される。(ポレポレ東中野)
11月、「まり子とこどもたちスペシャルコンサート」開催される。(ポレポレ東中野)
2014年(平成26年)
1月、第65回全国カレンダー展において、ねむの木学園カレンダーが実行委員会奨励賞を受賞。(社)日本印刷産業連合会、(株)日本印刷新聞社
2月、宮城まり子とねむの木学園こどもたち」コンサートが『ママに捧げる歌』としてDVD・CDで発売される。
3月、第102回「ねむの木学園のこどもたちとまり子美術展」に皇后陛下が鑑賞される。(横浜そごう美術館)
6月、キューバのアレイダ・ゲバラ氏来園される。
10月、第46回ねむの木学園大運動会、全国から参加者約900名。
11月3日~11月5日、日本で一番モダンな布でつくる2014年のアート丸山正展。(ねむの木こども美術館で開催)
11月15日~12月7日、ねむの木手描き友禅展/こども美術館を会場に開催。
12月、指定特定相談事業、障害児相談支援事業ねむの木。木陰開所。
2015年(平成27年)
1月、第66回全国カレンダー展において、ねむの木学園カレンダーが実行委員会奨励賞を6年連続して受賞。(社)日本印刷産業連合会、(株)日本印刷新聞社
3月、第103回「ねむの木学園のこどもたちとまり子美術展」東北で昭和63年以来28年ぶり2回目となる福島県郡山市で開催。(郡山市民ふれあいプラザ)
10月、第47回ねむの木学園大運動会。全国から参加者約900名。
2016年(平成28年)
1月、第67回全国カレンダー展において、ねむの木学園カレンダーが実行委員会奨励賞を7年連続して受賞すると共に、本年度「国立印刷局理事長賞」並びに「審査員特別賞(古川タク賞)」2部門のダブル受賞の快挙。(社)日本印刷産業連合会、(株)日本印刷新聞社
5月、画集「ねむの木学園のこどもたちとまり子の美術」刊行。
5月1日~5月29日、第104回「ねむの木学園のこどもたちとまり子美術展」開催。(東京銀座メルサ)/皇后陛下が鑑賞される。
7月23日~8月7日、掛川市日坂地区「GAW展」参加。「ねむの木学園のこどもたちとまり子の美術展」開催(旧旅籠川坂屋
を会場)
10月、第48回ねむの木学園大運動会。川勝知事を始め全国から1,000人を超えるお客様。毎年恒例のまり子園長お手製か
ぐや姫弁当」参加者社全員に。
10月4日、NHK放送番組「探検バクモン」爆笑問題田中さん、太田さん、サヘル・ローズさん取材撮影のため来園。テレビ放映(10月28日)
12月、ねむの木こども美術館「どんぐり」隣接地の用地を取得「農村のお花畑」として土地利用計画・農地転用の協議が始まる。
2017年(平成29年)
1月14日~29日、第105回「ねむの木学園のこどもたちとまり子美術展」群馬県太田市美術館開館の開館記念のご招待を受
け開催。
3月21日から4月16日、第106回「ねむの木学園のこどもたちとまり子美術展」沼津市のプラサヴェルデ(ふじのくに千本
松フォーラム)で開催。
7月、日野原重明聖路加国際病院名誉院長お亡くなりになる。7月29日青山葬儀場にて美智子皇后陛下の弔辞に続き、園長
お別れの言葉を述べる。
8月6日、第10回 音楽の広場静岡グランシップ 350人の市民オーケストラ・400人の合唱団の中、セント・ルイス・ブルース・マーチ
のタップダンス・モーツアルトの少年・幸せは樹のように(手話を交えた)を熱唱。
10月22日、第49回ねむの木学園大運動会、学園始まって以来、台風21号の影響で初めて屋内体育館で開催。全国24都府県
から600名のお客様、「やさしくね」をこどもたちとお客様が手をつなぎトラックを歌いながら大行進、大きな拍手・感
動の声をいただく。
2018年(平成30年)
3月7日、榛村純一学校法人ねむの木学園評議員(元掛川市長)お亡くなりになる。浜岡から掛川への移転にご尽力される。
学習センターでお別れの会5月31日(木)学園長がお別れのお言葉を述べる。
3月、ねむの木こども美術館「どんぐり」隣接地の土地利用計画・農地転用の承認・許可を受け、荒れた耕作放棄地から「農村のお花畑」に景観整備される。
4月6日創立記念日50周年を迎える。
多くの報道関係者を迎え50回目の始業式開催される。学園長から「50回目よ」と挨拶。
5月31日~6月1日 ねむの木学園50周年記念みんなで春の遠足。天竜浜名湖鉄道貸し切り電車の旅乗車(掛川駅~西気賀駅)THE HAMANAKOホテル宿泊。翌日フラワーパークへ出かける。
6月23日「角笛シルエット劇場」を主催する。(掛川市生涯学習センタ-)
7月19日、天皇皇后両陛下の行幸啓、平成最大の西日本豪雨大災害発生によりお取り止めに。
7月15日~ 7月22日、第107回「ねむの木学園のこどもたちとまり子美術展」北海道南富良野町保健福祉センターみなくるで「ねむの木学園創立50周年」「南富良野町町制50周年」記念のご招待を受け開催。2,696名の方にご入館いただく。
8月29日~30日日本肢体不自由児療護施設長会議(会長宮城まり子)に出席。(大阪)
9月23日 学校茶道合同茶会に代表の子どもたちが参加。(浜松市松韻亭)
10月28日、第50回ねむの木大運動会。晴天に恵まれお客様1000名を超えて過去最高の参加人数でした。
11月6日静岡朝日テレビ生放送出演。
11月27日、天皇皇后両閣下ねむの木学園に行幸啓。先導し説明は園長宮城まり子が行った。
ねむの木こども美術館をご視察され、一人一人の絵をゆっくりとご覧になられた。また。としみつくんとつとむくんがお
手前したり、みんなでダンスを披露したり、お帰りになられるときはうたを歌いながらお見送りをした。両陛下は終始な
ごやかにご視察された。
御訪問日前後に新聞社やテレビの取材が多くあった。
12月18日掛川茶エンナーレ実行委員会顧問で参加(掛川市役所)した。
2019年(平成31年/令和元年)
1月18日、「財界賞特別賞」受賞。(学校法人ねむの木学園理事長 宮城まり子)
30年度財界賞(第63回)経営者賞(第61回)の贈呈式が、東京・丸の内のパレスホテル東京「葵の間」で行われた。
4月6日、ねむの木学園51回目のお誕生日を迎える。
10月27日、第51回ねむの木学園大運動会開催。
2020年(令和2年)
1月、「第71回全国カレンダー展」において、ねむの木学園カレンダーが日本印刷印刷産業連合会会長賞(銀賞)を受賞。
(11年連続の受賞。)
2020年3月21日、理事長宮城まり子(本目眞理子)永眠。ちょうど満93歳の誕生日でした。
・2019年4月に肺炎のため入院し、それ以降あまり体調が思わしくなく、入退院を繰り返しながらも、仕事に打ち込むと
いう生活を続けてまいりました。2020年2月初めに体調の急激な悪化が見られ、掛川市内の総合病院に緊急入院いたしました。間質性肺炎との診断でした。その後、20年ほど前に患った悪性リンパ腫の再発が疑われるとのことで、かかりつけであった東京の医療機関に転院し、抗がん剤の投与などの治療が行われました。お医者様はじめ病院のスタッフの皆様に懸命の処置を施していただきましたが、午前6時55分、息を引き取りました。
3月21日夕、学園オープンクラスでこどもたち・教職員へ、「お母さんがお空にお出掛けしたよ」と悲しい報告をする。
上皇さま、上皇后さまより、宮内庁を通じてねむの木学園に弔意をいただく。
3月27日、学園で子どもたちによるお別れ会(葬儀)が学園関係者のみで行われた。子ども代表で、としみつ君がまり子お母さんに「今まで泣いていましたが、これからは泣きません」など、お別れの言葉を伝える。みんなで遺影に献花し、歌をうたい、まり子お母さんに捧げた。祭壇には親交の深かった上皇ご夫妻の思いを伝える宮内庁上皇侍従長名の弔意文が掲げられた。
同日午後、コロナウイルス感染のこともあり、一般向けの献花台はねむの木村内の吉行淳之介文学館に開設した。遺影と遺骨はまり子先生が好んだたくさんのお花に囲まれていた。
4月5日まで吉行淳之介文学館で弔問受付を行うが、コロナウイルスの影響を配慮し、一旦終了させていただく。
4月6日、令和2年度始業式を行う。式の後、まり子先生(遺影)と一緒に学園玄関前で恒例の記念撮影を行う。
2021年度(令和3年)
1月、第72回全国カレンダー展」において、ねむの木学園カレンダーが日本印刷印刷産業連合会会長賞(銀賞)を受賞。
(12年連続の受賞。)
3月、ねむの木学園のこどもたちと宮城まり子美術展開催。(3月18日〜31日)掛川市二の丸美術館
3月21日、宮城まり子1周忌「ねむの木の母が生まれ星になった日」吉行淳之介文学館
新型コロナウイルス感染拡大状況に鑑み、こどもたち、教職員でとり行う。
5月、ねむの木学園「感謝の心」短期入所(ショートステイ)開設。
11月28日、「ねむの木学園のこどもたちコンサート〜まり子おかあさんの心とともに〜」グランシップ中ホール・大地
創設者宮城まり子が最後まで開催を切望していたコンサートで、コロナ禍で2年越えの開催となるも、こどもたちは遺志ををひきつぎ見事にやり遂げる。当日は会場のお客様から大きな励ましの拍手をいただく。
2022年(令和4年)
1月、第73回全国カレンダー展」において、ねむの木学園カレンダーが「経済産業省商務情報政策局長賞(金賞)を受賞。(13年連続の受賞。)
3月21日、宮城まり子の二度目の命日であり、満95才の誕生日でした。近くのお寺にて、学園のこどもたちと教職員で三回忌の法要を営みました。そのあとお墓参りをして、まり子学園長と過ごした日々に思いを馳せました。
10月30日、お世話になった方(コロナ感染防止対策のため一部の方)とご一緒に「お礼の会」を行いました。現在もたくさんの方々から懐かしむお声をいただいております。
まだ感染状態にある中でしたので、3回忌(2022年3月21日)は、一部の方のおいでいただいて、子どもたちと教職員全員で行いました。今回の「お礼の会」はこどもたちからの願いもあって実現しました。
2023年(令和5年)
4月6日 社会福祉法人ねむの木福祉会ねむの木学園創立55回目のお誕生日、55周年を迎えました。外は小雨が降っていましたので、はじめて室内で記念撮影をしました。
2024年(令和6年)
4月1日から「ねむの木学園感謝の心」と「ねむの木学園星に祈る」が統合される。
過年齢(みなし児童)の児者分離の取り組みにより、みなし児童の「星に祈る」の事業所登録抹消を行い「感謝の心」と
の統合事業名として、こどもたち、教職員ではまあ試合を重ねた結果、「ねむの木学園星に祈る」として、事業所新規登録をいたしました。